約3,000年前から人々が住み着き、山の恵みを活かして生活を営んできた八木上の大谷・笠掘・中谷地区。自然の恵みを活かし、生業にしてきた人たちの生きた証がよみがえる。
所要時間 | 約2時間20分 |
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移動手段 | 車・徒歩 |
ダムの底に沈んだ大江・大谷地区の暮らしぶりがわかる資料館。
八木上地区は田畑が少なく、山の恵みを活かした産業が多くあった。
また、熊取りも盛んであった。
30分
移動手段:徒歩(5分)
高山植物が多く見られる山かつては栃尾方面から信仰の対象として訪れる旅人が多くいた。砥石の産地でもある。
-分
移動手段:徒歩(5分)
昭和39年に完成した県営ダム飲料水収水のために作られた。
岩場に住むカモシカの生息地として、特別天然記念物に指定されている。
昔はカモシカ救護センターがあった。
大蛇伝説の笠掘姫の生家があった。
20分
移動手段:車(15分)
約3,000年前、縄文時代晩期の遺跡。
矢じりの完成品や原材料が多く出土している。
五十嵐川の良質な石材を利用し、製造されていたことが伺える。
15分
移動手段:車(5分)
石を投げ入れると三味線の音がするという滝。
10分
移動手段:徒歩(5分)
柱状節理とは、岩体が柱状に規則正しく並んだ状態の物。
マグマが冷えてできた玄武岩の一種。
塩の出る井戸はカラキド沢にあり、硫黄の匂いがする。
15分
移動手段:徒歩(3分)
元和6年から村松藩の御用紙として用いられていた和紙。
栽培された楮や糊の木を利用して作られていた。
連光寺は村松藩唯一の時宗。
昔は大谷にあったが、正中元年(1324年)に大谷地に移転した。
日限の地蔵様として有名。
法隆寺から寄進された百万塔と経文(世界最古の印刷)がある。
20分
移動手段:徒歩(5分)
明治6年の飢饉の年に住民の救済措置として大庄屋の長谷川氏が作った屋敷まわりの石垣。
おにぎり1個と五十嵐川の石が交換された。
石工は栃尾から呼び、矢弦づくりと呼ばれる工法で作られている。
他に双体道祖神、名下の大杉。
10分