しただ郷エコツーリズム推進協議会 eco tourism

自然・歴史・生活文化の概要

自然概要

北五百川の棚田
平成11年に"日本の棚田百選"に選ばれる。
自然の地形を利用し、階段状に連なる田んぼは日本の原風景を感じさせる。棚田の周辺には小さな池や川、草地、林という多様な環境が混在し、様々な生き物が生息する里山ビオトープとなっている。春にはサシバの渡りも観察される。
東屋付近から棚田を見下ろし、正面に守門岳を望む景観は特にすばらしい。
高城・ヒメサユリの小道
北五百川の棚田
高城・ヒメサユリの小径
高城は15世紀に長尾氏によって築かれた山城で、空堀や曲輪(くるわ)、水舟などの遺構が見られる。
高城までの登山道は"ヒメサユリの小径"として知られ、5月下旬から6月上旬には、可憐なヒメサユリが目を楽しませる。ヒメサユリは新潟・福島・山形などの限られた地域に分布し、新潟県では絶滅危惧Ⅱ類に指定されている。また尾根伝いの登山道はアカマツ、アオハダ、タカノツメが比較的多くみられ、5月にはアカマツに依存するハルゼミ(新潟県/準絶滅危惧種)の鳴き声を聞くことができる。
八木ヶ鼻
700万年くらい前に海底火山のマグマから溶岩ドームが形成され、これが隆起したもの。海底のデイサイト質溶岩ドームは国内的にも事例が少なく貴重な場所といわれる。
八木ヶ鼻の絶壁の一部から岩塩の結晶(滲み)が確認されており、海底火山であったことを物語っている。
岸壁にはハヤブサが生息しており、直下には三条市指定有形文化財に指定されている八木神社がある。八木ヶ鼻は八十里越の街道を行きかう人々の大きなランドマークになっていたに違いない。
八木ヶ鼻
鼠薬師
五十嵐川を挟んで八木ヶ鼻の向かい側にある低山で標高285m程。
山頂付近では八木ヶ鼻の絶壁が眼前に迫り、東に粟ヶ岳・川内山塊・守門岳、西に五十嵐川の河岸段丘などが見渡せる。
昔は山頂に薬師堂があり、農民信仰の山であったという。
雨生池・大池
雨生ヶ池・大池
昭和27年に雨生ヶ池で発見され、この池の名前にちなんで命名されたアマゴイルリトンボ(新潟県/準絶滅危惧種)が生息する。このトンボは樹林性蜻蛉(トンボ)といわれ、岸が樹林になっているところが生息環境といわれている。現在、山形・福島・長野・新潟・青森の限られた場所で生息が確認されている。
また、雨生ヶ池には平家物語の「緒環の章」によく似た大蛇伝説が伝えられている。
五十嵐川水系
中・上流・渓流域の河川でアユ、ヤマメ、ウグイ、カジカ、イワナなどが生息する。残念ながら平成16年の7・13水害および平成23年の7・29水害で大きな被害を受け、魚影も減少した感がある。また大谷ダムに堆積したヘドロが五十嵐川の水質劣化を招き、魚類の生息に悪影響を与えているのではと地元漁協などでは危惧している。
大谷ダム下流の五十嵐川ではカヌーが楽しめる。2009年には国体カヌー競技が行われた。
八十里越
吉ヶ平(三条市)と入叶津(只見町)を結び、越後・会津の国境を越える旧街道。三条市・魚沼市・只見町にまたがっており、周辺の山地は秘境的雰囲気を備え、自然の宝庫でもある。
周辺のブナ林は尾瀬国立公園までつながり、その面積は白神山地を越え、イヌワシやクマタカなどの絶滅が危惧される猛禽類なども生息している。
この街道は縄文時代から使われていたらしいことが、発掘された遺跡の縄文土器などから推測されている。また、平安時代後期の三条高倉宮以仁王の逃亡伝説を伝える街道でもある。
江戸時代後期から明治にかけて数回の改修工事や道の付替えが行われ、明治時代の後半まで物資の流通が盛んにおこなわれたが、磐越鉄道の開通に伴い、廃れていった。
戊辰戦争の際には長岡藩の敗走路となり、長岡藩の河井継之助を主人公とした司馬遼太郎の長編小説「峠」により一躍全国的に知られるようになった。
五十嵐川水系