粟ヶ岳の麓にある北五百川集落は信仰が深く、鉄鉱石や炭焼き、陶芸、竹細工など山の恵みを活かした産業が盛んであった。金物のまち三条市を支えてきた原材料・物資を生産していた場所でもある。
所要時間 | 約2時間 |
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移動手段 | 車・徒歩 |
五百川薬師、粟薬師とも言われている。
開基は宝亀11年(781年)、昔は山麓に寺があった。
薬師は衆生の病苦・無明の救済に当たる仏として信仰された。
秘物があるといわれている。
15分
移動手段:徒歩(5分)
日本の棚田百選に選ばれている。
東屋からは北五百川集落を見下ろすことができる。
山側の大久保の清水から湧き出る清流により作られる棚田は日本の農業の原風景ともいえる。
生態系の宝庫でもあり、様々な生き物が生息している。
30分
移動手段:徒歩(0分)
板碑が道祖神が多くある。
10分
移動手段:車(10分)
明治時代初期に高野焼(五百川焼)が生産されていた。
10分
移動手段:車(10分)
文政7(1824) 年に鉛石が発見され当初鉛山として開発された。
天保2(1081)年には銀34貫目が産出され、明治3年頃まで操業しいていた。
-分
移動手段:徒歩(10分)
五百川で作られた鍛冶炭(かじこ)は、三条の鍛冶生産になくてはならない燃料であった。
笊や箕の竹細工も特産品の一つであった。
10分